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-Olé流- メルボルンどうでしょう

誤字脱字有り〼 

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五時半から11万円を使うため

昨日アップルのiPhoneが発売されたそうだ。XSとかいてテンエスと読むらしい。

ニュースでは、朝5時半からその電話を買うために並んでいるという大学生がいた。
彼曰く、「可能性が広がる」ということだったが、
電話を買うために朝五時半に起きて、開店まで待つ行為は彼自身の可能性を狭めていると思えた。

電話を買うこと、使うことで可能性なんて生まれない。
自分を磨くこと、高めることでしか可能性の向上はないのだ。

iPhoneに愛はない。2年もしたら壊れたりするただの消耗品なのだ。
それであれば、その11万円、もう少し何かいい使い方があるんじゃないだろうか?学生よ。お前は馬鹿だ

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いわかん。

樹木希林さんが亡くなった報道があったとき、私の中にはまたかーと残念な気持ちでいっぱいになった。

松方弘樹、西城秀樹、そしてこの前のさくらももこ、才能ある人たちの姿が消えてしまうことはとても悲しいことだ。

樹木希林さんの旦那さんである、内田裕也氏が、突然の訃報に信じられないというようなことだったが、
希林さんが亡くなる前1週間前にも危篤になっていたのだから、そのときにでも会いに行ってやればよかったのに。と思うのは第三者の意見でしかないのだろうか?

一度は離婚を本気でしようと思ったとか、そういうことに関わらず、長い間一緒に夫婦という形でいたならば、
相手が死ぬ前に、自分の本意でなくても、ちょっとだけでも顔を見に行くとか、そういうことがあっても良かったのかもしれない。そうしたら突然の訃報なんてことなく、準備ができたのではないか?


そして亡くなる方にだって、あー会いたかったわーと思ったかもしれない。
もちろん本人が会いたくないのに苦しいときに来るんじゃねーと思うのであれば、会いに行くべきじゃないのだけどね。


死んでしまってから、突然の訃報に動揺している。なんていわれても、生きている間に何かをしなければ、いけないことを
まだこのロックンローラーもはわかってなかったのか。とも思う。

人間は生きている間にベストをつくさなければ死んでからは何もできない。
だから生きているっていうことに価値があるのだ。



自分の子供に自分の姿を見せる

私の父親はサラリーマンです。もう70もとうに超えて、定年をしたんですが、いわゆる、ボケ防止なのか、それとも安い人件費で同じ質を求めてくる会社のためなのか、よくわかりませんが、定年後も同じ会社で週に数回働いているようです。
詳しくはわかりません。

私と父親は何度か大きな喧嘩をしたことがあります。喧嘩といっても殴るとか、タックルするとかではなく
感情むき出しの口論というか、討論というか。


私はフリーランスで仕事をしているので、私の信念は自分が信じるものを実行する。自分の一貫性を貫くなのですが、
父親は全く違うといいました。会社が黒だといえば、自分が白と思っても黒ですという。長いものには巻かれる。とはっきり言ってました。

なるほどねーそうじゃないとサラリーマンはやっていけないのか。なんてことを思ったわけです。


正直いうと、そういう自分の気持ちをまげるってことが今の私でもできません。
ダメと感じたものはだめ。
白く見えるものはどんなに黒だと言われても、白という。それで友達をなくそうが、会社にいられなくてもそれだったら
それでいいじゃないか。自分の思いまで変えてまで仲良くやりたくない。そう思ってもいるのです。


会社員にはなれないなー。と思うのですが、会社員じゃない私はそれでいいのだと思います。

なんの結論もかいてないブログですが、私はこれからも、自分という一貫性を持って生きようとおもっているのです

俺は刑事か?

母親の虐待、子供には古い骨折の後があった。。。

またか。。といってしまうような事件が毎日のように起こっている。正確に言えばそれは発覚しただけで、水面下では何百と同じようなことが今も続いていることに私たちが見てないだけだ。

そんな事件ばかり目にすると、2歳児が山中で大きな怪我もなく見つかった。という嬉しいニュースをきいても、
おいらのなかでは「だれかが誘拐したが、隠しきれなくてこっそり置き去ったんではないか?」とか、育児放棄で自分の子供を捨てたのかもしれん。なんて屈折した考えまで持つようになっていることに気がついた。

インタビューを受けて涙を流している被害者が実は加害者だった。なんていうのも結構あるので、
もう何を信じていいのかわからないんだろうな。

それにしても毎回、同じようなことをいうが、どうして子供から目を離してしまうのだろうか。
たった数分でも子供は死ぬし、子供は誘拐されるし、子供は大怪我をする。
目を離すな、それが親だろう。そういうことをいうと、

じゃあ親には自由がないの?!なんて逆ギレされそうだが、それが親の遣るべき行動で、
それをしないのは親じゃない。もっと言えばそれができないのであれば、親になるべきじゃないようにも思う。

いつからか、政府の援助がないからだとか、国が悪い、日本しねみたいなことを言われて、
他力本願どころか、他力非難みたいなことになってる。自分が子育てできないのは政府がわるいから、国がわるいから
私が2分間ゆっくりできないのは日本がわるいからよ。

そういう言い訳はどこにでも転がっている。

ナンパが成功しないのはここが湘南じゃなくて新潟の海岸だからだよ。

俺が大学に受からなかったのは、3浪だからだよ。とか

俺がいけてないのは、仕事がないからだよ。とか



結局何に文句を言っても、自分の人生は一回きり。経済的にも自立したら、残りの50年生きて死ぬ。
そこで文句ばかり言ってても仕方ない。

文句を言う時間があったら、自分でヤレる努力をしたほうがいいようにも思う。



雨降れ降れ

岡山とか広島は大雨で大変なことになったのであるが、ここオーストラリアのヴィクトリア州と、シドニーが州都のニューサウスウェールズ州の田舎は田舎のほうは、雨が降らなくて農場の皆さんがもうお手上げ状態なのである。

場所によってはなんと7年もまとまった雨が降ってないらしく、羊たちの餌になるヘイ、つまり藁もなく、その藁を買うために、借金をする。まったくもって儲からないどころか、赤字であるらしい。

そんな声を聞いて、雨の多いタスマニア州から藁の束が山のように輸送されてきた。タスマニアーメルボルン間はフェリーが通っていて、そのフェリーに満載された藁がこれからニューサウスウェールズなどの農場に寄付される。

お金ではなく藁の寄付。これぞわらしべ長者になるとおもう。

私がオーストラリア生活で気に入っているのは、こういう嫌味のない方法で物資を送り、それを気持ちよく受け取ることだ。

困った人がいれば誰かが助ける。余裕がある人は多めに助け、余裕が少しの人は、できるだけ助ける。
そういう人情みたいなところが、あるのだ。



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